昨日の日記で書いた、金魚・植物が充電期間の1ヶ月の間に一気に私の前に現れたのは、本当に不思議だと思う。
ザリガニはその少し前からいたけれど、この1ヶ月で思いは明らかに変化している。
これは何なのだろう・・・と感じていた。
ある時、あけちゃんと話をしながら気がついた。
私は、命を重たくてめんどくさいものだと思わなくなったのかも。
命を受け入れられるようになったのかも。
この時の気づきで初めて、私は命を重たくてめんどくさいものだと思っていた事にも同時に気づいたのだけど。
子供が二人いて、二人とも気管が弱く、一人は疳の虫が強く手が焼けて、正直言って、生きてるものを世話するのは子供だけで精一杯だと、私は思っていたんだな。
これ以上生き物はむり!って知らないところで一杯一杯になっていた。
それが、「金魚すくいはだめ」っていう言葉になっていたんだ。
3鉢あった植物も、とにかく丈夫さ第一だった。
金魚でも植物でも、とにかく病気は手がかかるから勘弁してって思っていたし、大体生きているだけで面倒見なくちゃなんだから大変なんだよ、って思っていたのだと思う。(エサやりや水交換や水やりくらいの手間なのに!)
8月、怒涛の流れがいったん区切りがついて、私の中の何かが変化していたのだろう。
春から通っている、jikoさんの治療の影響もとても大きいと思う。
命を認め、受け入れられるようになったのだったら、嬉しいなと思う。
私は、子供が生まれたその時から、「死なせてはいけない」「病気をさせてはいけない」「泣かせてはいけない」と思ってしまい、それはそれはすごい緊張感とプレッシャーの中で過ごしていた。(随分あとで気がついたのだけど)
命を認め、受け入れられるって、病気や弱い所を認め、受け入れられるっていう事なんだって気がついた。
病気や弱さを受け入れられたら、こんな風に楽で豊かになるんだね。
自分がバテやすい事も、子供達の病気の事も、「この状態が今の私なんだ」とただただ受け入れられる。
体がつらいのを無理に頑張るのでもなく、罪悪感と共に休むのでもなく、ただ自分の状態に素直になれる。
子供達の咳も、たまに出ても「大丈夫」という確信と共に見守っている事が出来る。
症状が出たら「どんな手当てがあるだろう」と色々調べるのは前と一緒だけど、そこには「どうやったら症状を抑えることができるだろう」という発想はない。
症状がおさまるのはもちろんありがたいことだけど、「今の状態に一番いい手当てはなんだろう」と考えて調べる様になったのだ。
私の分かる範囲でだけれども、自分や子供達全体を見る。生きている命全体を感じる。そういう視点が持てるようになった。
これは、以前の私のあり方から比べたら、とんでもなく豊かな視点。
命はとても有機的なのだなーと実感できる。
私の周り全ての人、生き物、そして宇宙に感謝の気持ちを捧げずにはいられない。
ありがとうございます

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