私は
何がしたいのだろう。
何が出来るのだろう。
どうありたいのだろう。
もっと自分に正直に生きたい。
もっと、もっと。
腹をくくって。
自分を認め、受け入れ、ありのままで。
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何がしたいのだろう。
何が出来るのだろう。
どうありたいのだろう。
もっと自分に正直に生きたい。
もっと、もっと。
腹をくくって。
自分を認め、受け入れ、ありのままで。
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自分の周りの人が勇気を出して一歩前進しようとする時、心から応援したいといつも思っている。
夫も、子供も、実家の家族も、親戚も、ワークショップで知り合った人たちも、友人も、TVで見た頑張っている人も。
特に何が出来るわけじゃなくても、気持ちだけでも、心から応援したい。
心から敬意を表し、その人に起こる事全てを信じ切り、暖かい気持ちで見守りたい。
「本当に大丈夫?」
「無理なんじゃない?」
「失敗したらどうするの?」
「できっこないよ」
「ちゃんと準備は出来てるの?」
「これも出来てないのに、違う事始めるの?」
「まだ無理でしょう」
「採算はとれるの?」
「それをやって、何が得られるの?」
「計画はちゃんと立てたの?」
「見通しは?」
こういった言葉や、あるいはこういった事を思っている気持ちや、「無反応」「冷ややか」「馬鹿にする」という反応が、どれ程人から気力も体力も奪っていくだろう。
「心配」という体のいい気持を盾にした、とても密やかで巧妙な、人の尊厳の侵害だ。
「ほらね」
「だから言ったじゃない」
と言いたいがための、防御線。
「私の言ったとおりにしていれば、こんな思いはしなかったのに」
という、コントロール。
誰も、その人がチャレンジするのを止める権利なんてない。
本当の失敗なんてないのだから。
どんな思いをしたって、その思いをした「体験」はチャレンジした人だけが得られるものだ。それは、何物にも代え難い、貴重なその人の宝だ。
「体験」が人を作っていくのだから。
新しいことに挑戦するという事は、未熟な自分をさらけ出してみる、という事。
とても勇気のある、誇り高い姿だと思う。
私はその人を讃え、応援し、愛を送りたい。
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2学期が始まってすぐの頃、お迎えに行ったら次女のランドセルに、スーパーのビニール袋がぶら下がっていた。
何これ?とよく見ても何が入っているかよく分からない。
次女に「何が入っているの?」と聞くと「カエル~~
」・・・・。
ちっちゃな可愛いアマガエルがぴょこんと入っていた。
別の日にはバッタが入っていたりして、もう慣れっこ だけど、家には持って帰れないから、ビオトープや田んぼに返してあげようねと説得するのが大変。
家で飼う気マンマンで捕獲しているらしい・・・![]()
この間は実家でミミズを素手で持っていた(らしい。長女情報)
ひょえ~~~~
ムリムリ~~~!!ママは見るのもムリ~~~ ![]()
虫嫌いだった長女も今年はあめんぼを捕まえて「あめんぼは甘い匂いがするんだよ!」って教えてくれたりした。
たくさん自然と触れ合って、楽しい思い出を沢山作ってくれているようで何より
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